中国語学習のススメ【なぜ中国語学習を始めたか】
私がなぜ中国語学習を始めるに至ったか。
それは大学時代のアルバイト経験がきっかけです。
某テーマパークのレストランで約2年ほど働いていました。
接客は元々人と話すことが好きだったので得意と自負していたのですが、
日本のお客さまはまだしも、多方面からいらっしゃる外国籍のお客さま対応にはとても苦慮しました。
コロナ禍前だったので、本当に毎日多国籍のお客さまを応対しました。
英語は何となく理解出来たのでマニュアル通りの英語しか話せませんでしたが、それなりに対応していました(ジェスチャー含む笑)
ただそれまで何となくこなせていた接客がある小事件をきっかけに、
私接客嫌いかも…となってしまったのです。
夏休みの繁忙期の時でした。
中国人のお客さまが団体20人前後で来店されました。既に多くのお客さまが外で並んでお待ちになっている状況で、
厨房やレストラン内は多忙を極めてカオス状態、接客業を経験した方には理解していただけると思いますが、
他のメンバーに、声も掛けられない位(声掛けるなオーラ出てる)に空気がピリついていました。
そういう時に限って、高確率でトラブルは起きます。笑
私はレストラン内のサーバーという係でしたが、どうやら外の中国人観光客の方々がもめているらしいので『行ってくれない?』と頼まれました。何故そんな大役を任されたか。。。
それは私が、大学で第二言語として中国語を専攻していると知れ渡っていたからでした。
一応授業は出ていたし、っという事で当時はドヤッていましたが(何故)所詮第二言語、話せるなんて到底公言してはいけないレベル。
しかし断る隙もなく対応を任せられました。彼らは英語も皆無。中国語でひたすらに何かを怒っているように見受けられました。
そこで私は何て言ったと思いますか。
『我是〇〇,你呢,你幾歲呢?』(私は〇〇名前です、あなたは?あなたは何歳ですか)
いきなり自己紹介と、相手の年齢を聞くという。笑
言語が分からないって本当怖いです。何名ですかと聞きたかったのに。
教科書で習った疑問文例が頭の中でこんがらがって、結果大変な事になりました。
お客さまは更に怒ってしまい、しまいには外に並んでいた日本人の方々にも責められました。
その様子を伺いチーフパーサーにも『もう大丈夫』と言われてしまい。
かなりメンタルがえぐられました。悔しくなりました。
対お客さまで楽しいこともあるのに、対お客さまでしんどい事もあるな、、と。
しかも自分の語学力のせいで。
大学生のアルバイトなんだからそんな責任感じなくても大丈夫だよ、と励ましてくれた同期もいましたが
正直怒られた事が悔しいのではなく、どうにか解決したいのに『相手が何を伝えたいのか全く分からない』という状況ってこんな苦しいんだ。
と痛感した事が1番の悔しさでした。
元々大学時代から将来は様々な外国籍の方と関わる仕事がしたいと、拙い語学力にも関わらず、大きな理想を抱いていたのでこのままじゃいけないな。と強く思ったのです。
また私の周りには当時英語力がネイティブ並みに話せる子も多く、自分も何を伝えたいのかは分かるレベルだったので、理想の将来像になる為には英語も勿論大事だけど、何か自分だけの武器を持ちたいなと漠然と思っていた時期でした。
これは中国語学習頑張ってみるか。
決意したきっかけでした。
その日から中国語の授業だけ(?)は今まで以上にしっかりと受講し、
その姿勢を見ていたからか、交換留学生の台湾人・中国人の友人も次第に増えてきました。
また丁度その時、大学では交換留学生募集をしていました。
大学では何か大きな挑戦をしたい。
留学をして視野をもっと広げたいと入学前から考えていました。
元々は英語圏に志望予定でしたが、中国語の授業で知り合った友人達のススメで、
申請直前に留学先を『台湾』に変更しました。
交換留学申請には留学先の言語テストや、評定もある程度必要だったので
あの時改心して中国語講座だけでもまじめに受けていて良かった…と痛感したのを昨日の事のように思い出します。
ここから私の中国語学習が本格的に始まりました。
他言語に興味を持ち始める理由は人それぞれですが、
思い返すと、私はあの時の『悔しさ』が1番の原動力になったなと思います。
是非今後中国語に触れる機会があったら、先入観に捉われず、挑戦してみて下さい。
簡単な表現だけでも覚えるだけで、世界が変わってくるはずです。
怒涛のコロナ禍台湾留学【経緯編】
コロナ禍になって約2年半が経過し、以前は2.3ヶ月に1回は訪れていた台湾も気付けば気軽に行けない遠い存在になっていました。
仕事で降り立つことはあっても、入国は許されず、ただ機内から空港外観だけを眺めて帰国するという何とも残酷な2年間を経験しました。
仕事をクビになってもいいから、無理矢理入国しちゃおうかなとも真剣に考えました。(笑
入国の壁がどんどん分厚くなっても、生活の一部だった台湾だから。何としてもまた台湾に行きたいという気持ちは変わりませんでした。
そんな時、入国緩和のニュースが目に止まりついに、、!
と思いましたが現実はそう簡単ではなく、VISA申請も狭き門、ただ一部の政府機関から許可が降りた特別留学等の枠だけというものでした。
しかも私はその時、社内の中国語を使う内部出向にも応募していて、合格すれば1年間は日本に必ずいなければいけないという縛りがありました。
台湾でまた留学して中国語勉強するのも正直したい(大学の頃輔仁大學に留学してました)
将来的には日本国外で挑戦したい気持ちはとてもある。だけど語学力が足りないから、今のタイミングはいいかもしれない。
でも仕事はまだ辞めれないな。仕事も好きだし。
本当に葛藤しました。
でもどこか人生ってほんっと楽しいな、選択肢与えられ過ぎて(※自分で増やしてるだけ)逆にワクワク。見てろよ〜(誰に?)みたいな気持ちもあって。内部出向に応募しているにも関わらず、並行して國立臺灣師範大學の夏季班にも申請をしました。というか知らぬ間に応募してました。
私の人生のモットーは、悩んだら挑戦するなので。
そしていつも容量オーバーになって取り返しつかない事に(笑
結果。
内部出向が定員割れで落ち、師範大学の方が通り、2週後にVISA申請の予約枠がすぐ取れてしまいました(橫濱分處)
え。。。これは台湾のご縁?
ただ仕事問題がありました。普通仕事が辞められない状況で、無計画で台湾留学の申請を先にしたのはただのアホですが、これまた幸いなことに、会社からコロナ禍の柔軟な対応として育休介護等の特別な理由が無くとも自己啓発の為の休職制度が一定期間あり、5月からの枠がまだあったのです。もうこれはあたいの為にあるな(すぐ調子乗る)と思いすぐに申請して、上司にも相談し、絶対成長して帰って来ます!(キラッ)と言い残して、すぐさま台湾留学準備を始めました。
文章に書くと一瞬の出来事のように感じますが、正直色んな不安はありました。
特に台湾は感染状況によってすぐに鎖国をするので、出発日のその日まで気が抜けませんでした。
また仕事も一回のブランクを挟むとどうなってしまうんだろうな、とも感じました。特に私は感覚頼りの部分もあるので。(笑
でも台湾に行きた過ぎて仕事でのモチベーションも低くなってしまい、何の為にこんな毎日頑張ってるんだろうなとも思ってしまうことすらありました。日本での生活も楽しいのに、どこかぽっかりと心に穴があるような。その気持ちは多分行くまで埋まらないんだろうなと、この2年間で確信していました。執着とも取れるかもしれません。でも私の性格上、一度心に強く抱いたことは絶対叶えるまで諦められないという強い信念があります(ただの頑固者)
なのでこの決断に一切の後悔はありません。
迷ったら行動。悩んだら挑戦。あとは流れに身を任せる。
そしたら運が味方してくれる。といつも思っています。
確かに今回の決断に至っては、本当に運が良かったとも思います。
全てのタイミングが運良く合いました。心から感謝しています。
でも行動しなければ何も始まらなかったとも思います。
ここまでやっても行動しても無理ならば、私は台湾とのご縁は無い。きっぱり目標変えよう。もう台湾はいいやそこまで見捨てられるなら(ひどい笑)と思っていたので、やっぱり台湾が味方してくれたのかなとも思います。謝謝。
本当に怒涛の日々でしたが、ここまで苦慮して留学を叶えた私がいるので大丈夫です。何とかなります。
人生色んな経験をした方が絶対楽しいし、大変な事を経験した方が話のネタも増えるし良いな、最高だなと思ってます(芸人志望?)
長くなりましたが、これを読んで少しでも行動しようと勇気を持って頂けたら嬉しいです。
私の台湾留学を決めた経緯でした。