Mei

中国語のこと。台湾のこと。ワインのこと。仕事のこと。

怒涛のコロナ禍台湾留学【経緯編】

 

コロナ禍になって約2年半が経過し、以前は2.3ヶ月に1回は訪れていた台湾も気付けば気軽に行けない遠い存在になっていました。

 

仕事で降り立つことはあっても、入国は許されず、ただ機内から空港外観だけを眺めて帰国するという何とも残酷な2年間を経験しました。

仕事をクビになってもいいから、無理矢理入国しちゃおうかなとも真剣に考えました。(笑

 

入国の壁がどんどん分厚くなっても、生活の一部だった台湾だから。何としてもまた台湾に行きたいという気持ちは変わりませんでした。

 

そんな時、入国緩和のニュースが目に止まりついに、、!

と思いましたが現実はそう簡単ではなく、VISA申請も狭き門、ただ一部の政府機関から許可が降りた特別留学等の枠だけというものでした。

 

しかも私はその時、社内の中国語を使う内部出向にも応募していて、合格すれば1年間は日本に必ずいなければいけないという縛りがありました。

 

台湾でまた留学して中国語勉強するのも正直したい(大学の頃輔仁大學に留学してました)

将来的には日本国外で挑戦したい気持ちはとてもある。だけど語学力が足りないから、今のタイミングはいいかもしれない。

でも仕事はまだ辞めれないな。仕事も好きだし。

 

本当に葛藤しました。

でもどこか人生ってほんっと楽しいな、選択肢与えられ過ぎて(※自分で増やしてるだけ)逆にワクワク。見てろよ〜(誰に?)みたいな気持ちもあって。内部出向に応募しているにも関わらず、並行して國立臺灣師範大學の夏季班にも申請をしました。というか知らぬ間に応募してました。

 

私の人生のモットーは、悩んだら挑戦するなので。

そしていつも容量オーバーになって取り返しつかない事に(笑

 

結果。

 

 

 

内部出向が定員割れで落ち、師範大学の方が通り、2週後にVISA申請の予約枠がすぐ取れてしまいました(橫濱分處)

 

え。。。これは台湾のご縁?

ただ仕事問題がありました。普通仕事が辞められない状況で、無計画で台湾留学の申請を先にしたのはただのアホですが、これまた幸いなことに、会社からコロナ禍の柔軟な対応として育休介護等の特別な理由が無くとも自己啓発の為の休職制度が一定期間あり、5月からの枠がまだあったのです。もうこれはあたいの為にあるな(すぐ調子乗る)と思いすぐに申請して、上司にも相談し、絶対成長して帰って来ます!(キラッ)と言い残して、すぐさま台湾留学準備を始めました。

 

 

文章に書くと一瞬の出来事のように感じますが、正直色んな不安はありました。

特に台湾は感染状況によってすぐに鎖国をするので、出発日のその日まで気が抜けませんでした。

また仕事も一回のブランクを挟むとどうなってしまうんだろうな、とも感じました。特に私は感覚頼りの部分もあるので。(笑

 

でも台湾に行きた過ぎて仕事でのモチベーションも低くなってしまい、何の為にこんな毎日頑張ってるんだろうなとも思ってしまうことすらありました。日本での生活も楽しいのに、どこかぽっかりと心に穴があるような。その気持ちは多分行くまで埋まらないんだろうなと、この2年間で確信していました。執着とも取れるかもしれません。でも私の性格上、一度心に強く抱いたことは絶対叶えるまで諦められないという強い信念があります(ただの頑固者)

 

なのでこの決断に一切の後悔はありません。

 

迷ったら行動。悩んだら挑戦。あとは流れに身を任せる。

そしたら運が味方してくれる。といつも思っています。

 

確かに今回の決断に至っては、本当に運が良かったとも思います。

全てのタイミングが運良く合いました。心から感謝しています。

 

でも行動しなければ何も始まらなかったとも思います。

ここまでやっても行動しても無理ならば、私は台湾とのご縁は無い。きっぱり目標変えよう。もう台湾はいいやそこまで見捨てられるなら(ひどい笑)と思っていたので、やっぱり台湾が味方してくれたのかなとも思います。謝謝。

 

本当に怒涛の日々でしたが、ここまで苦慮して留学を叶えた私がいるので大丈夫です。何とかなります。

人生色んな経験をした方が絶対楽しいし、大変な事を経験した方が話のネタも増えるし良いな、最高だなと思ってます(芸人志望?)

 

長くなりましたが、これを読んで少しでも行動しようと勇気を持って頂けたら嬉しいです。

私の台湾留学を決めた経緯でした。